その昔……私はいつものようにバハマのカウンターに座って、演奏しているバンドを見ていた。
「カリオストロ」という高校生バンドだ。普通のHRバンドで、高校生バンドという可愛さはあったが、特に印象に残るタイプのバンドでもない。
只、ドラムの音が目立った。基本リズムが正確な割にパワーもあり、音も気持ち良いのだ。丁度、GARGOYLEでDr.を探していて、KIBAとTOSHIに
「将来が楽しみな子がいるけど、一度、見てみない?」と誘った。
ライヴが終わって、気に入ったKIBAとトシが、カリオストロのDr.を誘ってみた。
「一度、音合わせをしてみないか?」と。
即座に断られた。「僕は、今の仲間と一緒にやっていきたいんで……」
諦めかけたGARGOYLEのメンバーに、少し、時間を貰った。
T.F. 勝算があったのである。彼、KATUJIはインスパイア4号の弟だ。インスパイアも少し手伝って居たので、私の我がままは慣れっこのはず。
まして、桐田家は、縦社会?で、親父殿のパワーが凄い。
息子や音楽に理解があって、良く、バハマにも来て、回転焼?大判焼?をいつも食べきれないほど差し入れてくれるのだ。「親父〜!俺達友達!」の間柄なのである。まず、私は、お父さんに「弟の方を貰いたいんだけど、良っかな〜?」と聞いてみた。
桐田パパ「あ〜、ママさん、好きにしていいよ〜!」
T.F.「本当に?」
桐田パパ「使えるもんなら、どうにでも」
……パパは酒に酔っていた。
次に私は兄貴の信君に聞いた。
T.F.「信君の弟のKATUJIが欲しいんだけど、本人がNG出してんだけどさあ」
信君「あ〜あいつはまだ子供やから、気にせんと、持ってってください」
T.F.「え〜? かなり、しごくことになるけど、本人が嫌がってても良いのかなー?」
信君「あ〜ええっす、ええっす。煮て食うなり焼いて食うなり好きにして下さい」
……信君はライヴの後で疲れ果てていた。
本人の知らないところでKATUJIの運命は決まってしまった。
家で、尊敬している父と兄に何と言われたのか知らないが、
Bahamaに立ち寄ったKATUJIの手にはGARGOYLEの音源テープが震えながら握られていた。
ところが、予想外にKATUJIはGARGOYLEが気に入ってしまったのだ。
当分はカケモチでも、仕方ないと思っていたが、「面白いです、色々、変わったことやっていて」とのめりこんでくれた。高校二年の頃だった。身体作りから始めてもらったのだが、心身とも健康優良児。ひたすらメトロノームに合わせて、頑張る頑張る。三ヶ月頃から、逆にクリックに合わせるのが、気持ち良くなったそうだ。
「あ、あのねえ、最初の頃はリズムを聞いてると、叩けなくなったんですが、この頃、そらいけ、やれいけってかけ声に聞こえるんですよ」
そりゃ寝てる時以外、スティック離さないもんなあ。
ミーティングの時でも、打ちあわせ最中でも、椅子をスティックで叩いていたのだ。
何度か「うるさい!」と叫んだが、「すみません」と謝って、三十秒もしたらまた始まってしまうのだ。KATUJIの頭の中には、リズムにしか反応しなくなっていたようだ。そんな、理想的なドラムスをゲットしたGARGOYLEだが、困ったこともあった。バーボンハウス、ワンマンライヴを初めて決行するのにも、日程を選んで、初ステージを、ファンの来やすい土曜日を無理を承知で抑えてもらった。
全員喜んでくれると思った。
喜んでくれたのだ。KATUJI以外は……。
彼は高校生で、……修学旅行とぶつかっていたのだ。あっちゃあ〜。
私はすぐさま、バーボンに電話して、キャンセルして貰うよう頼んだ。
まさか担当者もキャンセルされるとは思ってもいない。なにせ、当時、バーボンは、ミュージシャンの憧れの場所だったのだ。オールスタンディングで450人は入れる。
「何故なんですか?! せっかく、一番良い日を、あげたのに……!!」
「すまん。どーしても無理な事情があって……」
「何なんですか? 一体、その事情は?」
「メンバーの一人が修学旅行だぁ。 高校の。 一生に一度の高校の修学旅行、行かせてやりたいもん!」
「………。」
そんな訳で、18才までは、夜、10時を越える仕事はとらなかったし、KATUJIはKATUJIで、学則を曲げて、長髪を守った。
高三になって、進路指導が始まると、先生に、「就職先はもう決まってます。就職先は、GARGOYLEですから長髪はその準備です」と宣言したそうな。どっか〜ん!
でも、支持して、サポートしてくれた桐田家に感謝!! しかし、思い出してみると、GARGOYLEのメンバーの親族は皆、理解があって、よく気を使っていただいた。
KIBAのお母さんの、手作り「おはぎ」や「ピロシキ」本気で山ほどとか、シージャのおっ母さんは、レコーディング中に東京まで差し入れに来てくれたり、Kentaroのお母さんも若くて美人だ。TOSHIの兄貴は、そっくりさんだし。皆仲良く家族付き合いをさせてもらった。KIBAのお父さんもすっごく優しいし、コンサートにも良く来ていただいた。私がメンバーをいぢめてるのを知らなかったからかもしれない。
(どうも、耳栓をしているのは、私だけだったのでは……)
いや、話が横にそれてしまったが、KATUJIは、やはり、ドラムスとして大成した。GARGOYLEとして、年中走り回っているが、レコーディングスタジオミュージシャンとしても引っ張りだこだ。十七歳だった彼が、ドラムスで生きていくと宣言した通り、現在に至っている。9月にビッグキャットのイベントを覗いたが、終わった後、一人、廊下の隅で、その日の自分のプレイを聞いて、自己反省をしている姿を見かけたが、GARGOYLEに入った頃からの習慣を守って、未だに自分のプレイをチェックして、次のライヴに繋げている。中々、出来ることではありませんよね。
しかし、昔のKATUJIを思い出していると、他の事も思い出す。
それは、恐怖の、聞けば身も心も凍る、数々の「オヤジギャグ」だ。
KATUJI以外の全員が、冷凍食品か石になっているのに、気が付かず一人ギャグ、一人笑いを延々続けるのだ……。
KATUJIよ。永遠なれ!
〜 幕 〜